
占いを受けたいと思っている人はいまの状況に困っていたり不満を抱えていたり、とにかくいい方向に進みたいから利用したいと思っている人が多いかもしれませんが、必ずしも物事が好転する訳ではないのです。
人生をいい方向に向けるためにもちろん今のあなたの状況を見て、そしてアドバイスをしてくれますし、適切に判断してくれる人もいます。
アドバイスもしっかりしてくれる占い師の先生もいるでしょう。
しかし占い師によっては、様々な人がいて、それぞれに得意分野もありますし、能力も得意不得意があります。
調べてみればわかりますし、多くの先生が、何が得意なのか表示しているはずですので、それを見た上で選びましょう。
人生の中で困ったとき、一度や二度はこれまでにも占ってもらって助けてもらいたいと思ったことはあるでしょう。
方法もいろいろとありますので、タロットで占ってもらうのか、それとも水晶で見てもらうのかなど道具を使う方法もある事を知っておきましょう。
人の体を見て手相や人相を見る方法もあります。
もちろん目に見えないものを見る力を持っていて、その能力を使ったり感じ対して見てくれることもあります。
電話でも最近はできるようになったのですが、やはり手相や人相は実際に対面しなければ占ってもらうことはできないのでその点は注意しましょう。
電話で話して占ってもらえることは利用者にとってはとても便利ですが、よい先生なのかどうかは、見分ける必要があり、その見極め肩としてはその人が少しでも幸せになれるように願って話を聞いてくれているかどうか、親身になってくれているかどうかなど、その時の反応で見極めることができます。
見極めた上でアドバイスを聞いて、そしてそのとおりに進めることで好転に近づきます。
最近は男性でも電話占いを利用するようになっています

男性は基本的に占いを信じないタイプが多いようです。
信じていることが、なんだか恥ずかしいと感じることもあるでしょう。
例えば恋人が欲しくて、占いに頼るなんて…というように少し抵抗もあるようです。
でも実は興味津津
そう言いながらも、一人では色々と検索をしたりしている男性も多いようです。
そして、ここで占ってもらおうかな…と真剣に悩むこともあるのです。
でも一人でそれを決めることが多いです。
人に知られることにより、どう思われるか分からないという男のプライドがあるのです。
そのため、出来るだけ知られないようにして占い師の元に行くということがあります。
もしも知られたことにより、自分がどのように言われるかが気になることもあるのです。
でも、そう思っているうちに、やっぱりやめておこう…と思うこともあるのではないでしょうか。
デートで占いに行ってみる
彼女と一緒に占ってもらうというようなことは経験としてあると思います。
二人の相性診断をしてもらうことにより、結果が怖いけれどそれはそれで楽しい場合もあるでしょう。
それにより、更に仲良しになることもあるかもしれないのです。
そのため、デートの時に診断をしてもらいに行くようなカップルもいます。
そういう場合は、将来結婚をするかどうか、それはいつぐらいかなどを聞くこともあるのです。
それを二人で聞くことにより、これからも一緒に過ごしていくというような気持ちになることが出来るので、良いかもしれません。
結果が悪くても
もし結果が悪いというような事があっても、解決策を教えてもらえる可能性は高いです。
そのため、あまりショックを受けずに、こういう時には軽い気持ちで聞き流すのも良いかもしれません。
そしてまた機会を見てデートで占いに行ってもいいですね。
叔父から学んだ占いの考え方について

もう亡くなってしまったのですが、私の叔父は、会社を定年退職してから、易学を学び、最初は趣味程度のものかと思っていたのですが、みるみるうちに腕を上げ、僅かな期間で免許皆伝を得てしまいました。
実際は、相当の時間をかけて学ばねばならないものであるらしいのですが、よほどその世界に合っていたのでしょう。
そうそうにプロ転向となりました。
叔父曰く、これも易学の理に適った故の結果であった・・・と。
易は、もともと紀元前の中国にて発生したもので、かの有名な周の文王の頃に起源を発するのだとか。
いろいろと学んだことを話してくれました
叔父は、いろいろと学んだことを話してくれました。
易経(易)の考えは、世の中の、自然界のすべては、陰と陽で構成されており、その組み合わせによって、万物の行く末を占うことができるのだ、とか。
つまり、長い歴史からのデータが活かされており、極めて学術的で論理的な構成であることが理解できます。
これ故に、歴史上でも、政治・戦争・吉凶など、易学が、それらを図る際に大きな役割を果たしてきたのにも頷けます。
しかしながら、叔父が生業として、店を開いていた場所は、多くの、いろいろな種類の占い師が集う、言うならば、占いの館のような場所だったようで、当時占いブームだったことから、多くの若い人たちがこぞってやってきていたのですが、どうも東洋系の占いは、地味なイメージからなのか、あまり人気があがらなかったようです。
自然界の営み
よくよく考えてみると、どんなに社会や文明が進歩しても、自然界の営みというのは、古より変わることなく、一定の法則に従って淡々と進んでいます。
ですから、易というのは、時代変われど、人が変われども、論理的に通用する占いであるのだ、と、感じます。